「最近のフラットな世界観には【試練】という要素もない」
「じゃあ、映画クリードで主人公が挑戦する理由はなんだい?」
「それは自分の力の証明だ。あれは【試練】ではない。最初から強いんだ」
「ふーん」
「そうすると、スターシャはヤマトに試練を与えることができない」
「なるほど。だから水先案内人を寄越すわけだね」
「そうだ」
「それで?」
「しかし、単純に試練を抜いただけでは話が成り立たない。イスカンダルに到着した後で、スターシャはコスモリバースを渡すか渡さないかでやきもきさせる必要がある」
「それで?」
「しかし、ヤマトに試練は与えられないから、自分の苦悩に還元させるしかない。答えは判っているのにワガママで悩む」
「つまり、スターシャの悪女化だね」
ユリーシャの必然 §
「スターシャが悪女化すると、善なる味方のキャラクターが不在になる。その穴を埋めるのがユリーシャ。従って、ユリーシャは物語後半にのみ登場できる。ヤマト1974で、善なるスターシャの登場は異次元空洞以降だからだ」
「それがフラットな世界観の必然?」
「より正確に言えば、フラットな世界観と、世代差のある世界観の強引な摺り合わせの必然だ」
「じゃあ、ユリーシャは肯定?」
「いや。結果として良く分からないキャラになっただけ」
「それも強引な摺り合わせの必然だね」